文化功労者は、文化の向上発達に関し特に功績顕著な者を顕彰する制度で、富野監督は「物事の本質をつく視点で壮大な世界観をもつ作品を創造し、我が国のアニメーション界に新たな表現を切り拓いてきたものであり、アニメーションを文化として発展させた功績は極めて顕著」として顕彰された。
文化功労者顕彰を受けて
今回、文化功労者として選出されたことは、ぼく以後の後進のために、大変嬉しいことだと思っています。この種のジャンルの創作者、アーチストにとって励みになるからです。
本当にありがとうございました。
しかし、ぼくのキャリアを少しでもご存知の方は、不思議に感じていらっしゃることでしょう。名のある賞をとったこともないアニメ監督なのですから……。
ぼくに取り柄があるとすれば、世間的に職業と認められていなかった仕事をやるようになって、半世紀以上つづけてきたことだけです。
それでも、多くの応援してくださるファンがいてくださり、作品以外でも、広く認識していただける活動をしてくださった関連各位のスタッフがいらっしゃったからなので、それらの方々には、心より御礼を申し上げる次第です。
ぼくが小学校の頃から好きだったものは、漫画の『鉄腕アトム』と宇宙旅行だけだったのですが、小学校四年の頃に見た洋画では、SF的にはガマンできたのですが、何でこんなつまらない話が映画になるのだろうか、と感じたことから、現在の自分が始まったと回顧できます。
このつまらなさの原因を教えてくれたのが、『鉄腕アトム』のストーリーであって、“劇”というものがなければ、ロケットが飛んだだけでは面白い映画は創れない、と気づかされたのです。
そして、高校、大学と就職を意識しながらも、勉強はまったくお留守の学生だったので、虫プロに拾われたことで、結果的に、時代の最先端を走ることになったアニメの仕事をするようになり、さらに偶然の采配といえるのは、はじめてアニメ番組の総監督を務めたときに、手塚治虫先生の原作がある仕事だったことです。
この仕事はいろいろな事情があって、オリジナル・ストーリーを起こすしかなくなって、あわてて「児童文学の書き方といった本」を読んだ覚えがあります。その本については、タイトルも、どなたが書いたものなのかの記録もないのですが、その本が教えてくれたことは、子供に読んでもらえるものは、作者が全身全霊をかけて書いたものでなければ、子供は見抜いてしまう。大人相手に書くもの以上に、体重をかけて企画し、書かなければならないという哲学を教えられたことです。
その考え方が、ぼくにとっての『海のトリトン』(1972年に放送)で実践したことであり、それ以後の作品では、もうひとつの柱を設定して、仕事を続けました。
それは、アニメ番組でも公共放送の電波を使わせてもらっているのだから、公共的な意味のある物語を提供すべきであるというテーゼです。
その意味では、アニメのストーリーテリングは万能である、ということを意識した作品作りをしてきたつもりなのです。
そのような姿勢を評価していただけたのではないかと想像しておりますが、すべからく、時代が生かさせてくれた結果であると思い、心から感謝する次第です。
令和3年11月5日
富野 由悠季
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